洗練された明るい店内で、気軽に香り豊かなコーヒー、しかも手軽な価格でサービス精神も旺盛。都心に限らず立ち飲み(セルフ)スタイルのコーヒーショップは生活の一部になっている人も多い。今回取り上げるドトールコーヒーは、喫茶業界に革命を起こし、平成不況下で起業家のパイオニアとなった。
創業者であり現ドトールコーヒー社長、鳥羽博道氏が喫茶業を始めるにあたって、最初に考えたことは、「喫茶業が世に存在する意義とは何か」だった。この疑問が解決しない限り何をするにしても先に進まなかった。そこで出した答は「一杯のコーヒーを通じて安らぎと活力を提供することこそが喫茶業の使命だ」ということだった。当時は戦後まだ間もないということもあり、世の中は大変な混沌と喧騒の状況下にあって、都会に暮らす人々は心身ともに疲れ果てていた。そうした人たちに必要なのは安らぎと活力ではないかと考えた。しかし具体的なイメージをつかみ切れずに方々にヒントを求める日々であった。
昭和46年の夏、鳥羽社長の人生を左右するほどの機会が訪れた。喫茶業界のヨーロッパ視察ツアーに参加したことである。喫茶業界の将来、自分の理想とする喫茶店づくりに頭を悩ませていた鳥羽社長は、「喫茶店先進国、コーヒー文化先進国を訪ねる中にそのヒントが必ずあるはずだ。日本の喫茶業の将来像が見えてくるに違いない」と大きな期待を持って参加した。このツアーはカルチャーショックの連続であり、沢山の教訓を得た。
まず、ヨーロッパではコーヒーが特別なものではなく、日本人にとっての日本茶のように、日々の生活に深く密着しているということだった。朝食は通勤途中にとる。パリではクロワッサンとコーヒー、そしてドイツではホットドッグとコーヒーという具合だ。特にパリで見た立ちのみスタイルのコーヒーショップを見て、これこそ喫茶業の最終形態だと確信する。それこそ、まさに雷に打たれたような全身に強い衝撃だった。
薄暗い店内に漂う香りのない煮詰まったコーヒーの匂い、そして充満するタバコの煙。店内にいるのは暇を持て余した人間か、仕事をサボっているサラリーマンたち。どう見ても不健康なイメージしかない日本の喫茶店。それとは対照的に、クロワッサンやホットドッグをほおばりながら、コーヒーカップを手に、ひとときの語り合いを楽しむヨーロッパの人々。ヨーロッパ視察旅行を機に、それまで悶々としていた理想的な喫茶業のイメージが、鮮明なイメージとなってあらわれた。
鳥羽社長が出した答は、「明るく健康的で老若男女ともに親しめる店」というコンセプトに基いたコーヒー専門店「カフェコロラド」であった。不健康で退廃的なイメージを拭い去るにはどうしたらいいのか。健康的で明るい店舗、お客様が建設的になってくれる店舗とはどういうものか。コロラドを従来の喫茶店とはまったく違ったものとして世に生み出すために、あらんかぎりの知恵を絞った。
なかでも、コーヒーそのものに対する考え方を改めることにした。あくまでもコーヒーが主役でなければならない。そこでコロラドではコーヒーそのものを売るという考え方で、産地別に提供することにした。
さらに、コロラドではレギュラーコーヒーの挽き売りをやることにした。当時は家庭で豆を挽いて飲むことなど考えもしなかったのだが、遠からず家庭消費の時代が来るだろうとドイツの喫茶店を視察した際に確信したからだ。
店のグランドデザインも決まり一人の賛同者を得て、第一号店は昭和47年、神奈川県川崎市に鳥羽社長が指導するというかたちでオープンすることとなった。
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オープンしてしばらくは、お客の入りは必ずしもよいものとはいえなかった。だが、半年もすると事態は一気に好転して、一般的な喫茶店の三倍ものお客様が入るようになった。鳥羽社長の掲げる「明るく健康的で老若男女ともに親しめる店」というコンセプトがその時代にぴたっとマッチし、それまで喫茶店を利用しなかった層のお客様にも利用してもらえるようになったからである。一日中、あらゆる層の人たちが入ってくる事で、朝から晩までアイドルタイムがなくなったのだ。それまでの喫茶店というのは6回転すれば成功と言われていたのだが、コロラドでは多いところでは12回転というのが常識になった。
時代も高度成長とともに健康志向になったことも、コロラド成功の追い風となり、第一号店オープンから10年間で280店舗という急成長を遂げることができた。
昭和55年、機は熟したと見て、鳥羽社長はヨーロッパで喫茶店の最終形態と確信を得た立ち飲みスタイルの喫茶店を始める。ドトールコーヒーの立ち上げである。第一号店は原宿、わずか9坪の店内、150円のコーヒー。この価格は通常の約半値で、日本の喫茶業に大きな波紋を呼ぶことになる。その後の発展は言うまでもない。これまで喫茶店に足を運んだことのない人々まで当り前のように通うようになり、都心においては街の景観の一部として定着した観さえある。
しかし、その過程で大手メーカーや外資、商社の激しい挑戦を受けてきた。店によっては120円という低価格で潰しにかかったことさえあったのだ。しかし、多くの後発組は撤退を余儀なくされ、ドトールコーヒーの牙城を崩すことはできなかった。その理由を鳥羽社長は「企業哲学の違いに尽きる」と分析する。儲かりそうだからやるのか、一杯のコーヒーを通じて安らぎと活力を提供したいと心から願っているのか。その違いは必ずどこかに現れてくる。それがコーヒーの味の差であり、店舗の魅力の差であり、接客態度の差である。賢いお客様はそうした違いを敏感に嗅ぎ分ける嗅覚があると言う。ただ単に形式だけを真似てやったものは感動、共感、共鳴を呼び起こすことなどできない。その意味では鳥羽社長は経営理念を常に先立てて取り組んできたと言えるだろう。
同時に商機というものを逃すことなく機敏に行動してきたことも見逃すことはできない。つまり、時代的背景や流れ、社会の成熟度などを、常に味方にしてきている。ドトールコーヒーの場合は、オイルショックによる所得の低下という時代の流れと、原宿にコロラドを出したいというオーナーの意向が合わさって、初めて商機となったのである。チャンスは準備している者のみにやってくると言われるが、厳しい時代であればこそ、夢や明確なビジョンを失ってはならないということだろう。
古賀実プロフィール
1931年11月15日、福岡県生まれ。早稲田大学卒業後、企業実務経験を経て、1960年コンサルタント業務に投じる。1966年株式会社日本コンサルティングセンターを設立し、いわゆる民間のコンサルタントを産業界に定着させた功労者である。そのコンサルティング領域は、飲食業界、流通業界、カラオケ業界、石油業界などを中心に、非常に広範囲に及んでいる。
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